「君は特技が無い」と担任に刻印された翌年、「学年でトップの成績」にのぼりつめた中学校時代の話。

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ブログを更新しながら日々思うことがあります。

「あぁ・・・有名になりたい・・・。」

「ブログ飯」

という言葉がありますが
ブログで稼いだお金で生活できる方が、
心の底からうらやましく思う毎日です。

「どうすれば有名になれるの・・・!?」

ブログの更新にあたり
毎日ネタを探していました。

最近はブログのカスタマイズばかりに集中し、
肝心な記事を更新することがほとんどできていませんでした。

そうそう。
書きたいことを書こう!

何人かのブロガーさんの言葉を見て
ようやくまたキーボードをたたくことができています。

ブログのネタ探しのひとつに、「自分の過去の経験を書く」という方も多いと思います。

私自身過去を振り返ると、
特に中学校時代が自分にとって「黄金時代」だったなぁと思うことがよくあります。

私は小学校時代とは対照的に
中学校時代は、勉強やクラスのポジションで、
常に高い位置に居続けることができました。

今振り返ると
目立たない小学生→中学校内で超有名人
になっていったなぁと思う経験です。

これから読むあなたには、
少し自慢話に思えてしまうかもしれません。

しかし私はコレをただの自慢話として
書きたかったわけでは全くありません。

全くの無名→有名人になっていくストーリー

をここに書くことにより、

自分自身が有名になるためのヒントを
勝手ながら自分自身のためにアウトプットをココでさせて頂きます。

Contents

「醜いアヒルの子状態」だった小学校時代

By: machu.

自分自身のことをさらけ出すことは
恥ずかしいことでありますが・・・。

幼稚園&小学校時代、
私はただの「ウザい女の子」でした。

特別勉強ができるわけでもなく
運動ができるわけでもなく
カワイイわけでもない。

クラスの男子からは
毎日のように、なにかにつけてからかわれていました。

反発するとさらに仕返しされる。

しかし先生たちは
私の味方にはなってくれませんでした。

アイドル集団だったわが5年1組

クラス替えの日。
子どもながらにこう思いました。

「ワタシ、このクラスでやっていけるかな・・・。」
なぜならこのクラス、

足が速い子
超美人な子
めちゃくちゃ頭のいい子

が勢ぞろいだったからです。

クラスの3分の1くらいは、
まるで「アイドル」のような生徒ばかりでした。

私は同じクラスの「アイドル達」を
羨望のまなざしで見ていたことを覚えています。

「特技が無い」と担任に刻印される

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ある日の「個人面談」で、
母が小学校に足を運びました。

開口一番、
こう言われたそうです。

担任
お宅のお子さんは、目立って得意なことは無いようですが・・・
ton-tonの母
はぁ!?

ホントは特技があった。しかも3つ。

当時の担任の先生は、50代後半の「ハゲテル先生」でした。

ton-tonの母
先生ったら失礼よねぇ。あなたはピアノが上手なのに。

私は母からこの言葉を聞いて思いました。

「得意っていっても、音楽だけだよね・・・。」

「だって、私、イイトコロ何もないもん・・・。」
先生の言うことは最もだと思いました。
ちょっと悔しかったですが。

しかし、全く得意なものがなかったわけではありませんでした。

音楽→ピアノが「クラスで2番目」に得意だった。J-POPは誰よりも詳しかった!

百人一首→クラス内でかるた大会を開催。私は3位。女子ではナンバーワンだった。

クラスで一番背が高い→得意というより特徴ですが。ようやくナンバーワン!6年生の時点で161cmありました。秋には男子にどんどん抜かれましたが。

よくよく自己分析すれば、そこそこの得意なものはありました。

今でこそ
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ちはやふるの世界

 

でしたが
当時の私はあまり価値があるように思えませんでした。

1組は「アイドル集団」。
カルタが得意くらいでは、誰もちやほやしてくれません。

先生にとって私は「非アイドル」でしかありませんでした。

スタートダッシュ戦略を立てた中学校時代

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月日は流れ、いよいよ中学校生活が始まります。

同じ小学校の生徒はなんと50%もいましたが、
逆に言えば、私のことを知らない生徒も50%。

冴えない小学校生活にこれでサヨナラしよう!

クラスで目立たない12歳の小学生は、
ひそかにこの思いを秘めていました

「優秀な生徒」は全員「私立中学校」に行ってくれた

幸い!?というか。

優秀な生徒さんは当然
「有名私立中学校」に行ってしまいました。

と、そこで何かに気づいた自分がいます。

公立中学に「アイドル」はほとんど行かない。

ならば、少しがんばれば
周りの生徒より「一歩前に出る」ことができるのではないだろうか・・・

と考えました。

「行ける高校ゼロ」だと思い、入学前に慌てて塾に通いだした

ton-ton
ねぇお母さん。小学校を卒業したら、近所の中学校に行けるよね。
じゃぁ、中学校を卒業して高校受験するでしょ。 
で、もしどこの高校にも合格しなかったら、行ける学校はあるの?
無いわよ。
ton-ton
はぁ!?

・・・ええっ!!??

「高校浪人」なの?

当時私は、自分が行ける高校が一つも無いんじゃないかと
恐怖にかられていました。(←超心配性な性格。。今思えばかなり大げさです。。。)

そして私は中学校に入学する2週間前に
親に頼んで塾に通わせてもらいました。

いきなり、クラス会議の「議長」に立候補した

晴れて中学生になりました。

このクラスで「頭ひとつ抜ける」ために・・・

と意気込み、
私は入学早々、クラス会議の「議長」に立候補しました。

「学級委員」とは違い
あくまで会議の進行を務める役割です。

そもそも学級委員にはまったく興味がありませんでした。

それに私の大親友Mちゃん(6年生に引き続き一年生でも同じクラスに)が
その座を狙っていましたから。

気が付けば、「クラスでNO.1」の成績をキープしていた

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クラス投票で勝ち抜いた(といっても立候補は私以外にもう一人)私は
クラスの会議で「議長」として
まとめ役を買います。

そのため、
出身小学校が違ったクラスメイトにも
少しづつ話しかけてもらえるようになりました。

塾に行っているのに頭が悪いと思われる恐怖!怖くて勉強しまくった

新しい学校生活で
新しい友だちが
少しづつ増えてきました。

こういうとき、クラスで少し目立てるポジションにいると
お得なんだなぁ・・
と感じます。

そして、少し目立ってきた私。

そしてこう思いました。

クラスの「議長」なのに、勉強ができないのはヤバい。

塾に通って人より早く勉強を習っているのに、
テストの点数が低かったら本当にバカだと思われる・・・

中学校1年生。
はじめての「中間テスト」は、
システムが良くわからないままも
ひたすら勉強をしました。

まずはグループで「上位」の成績に

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この中学校はクラスが5つあります。

1クラスの中に「班」というグループが6つ。

自分のグループは6人で構成されていますが
成績はその中でもそこそこ良かったように思います。

そして一学年180人いますが
自分の成績が学年で「上位20人」の中に位置していることも
判明しました。

そしてこう思いました。

塾ってスゲー(*‘∀‘)

小学校時代私をバカにし続けた男子が、なぜか教科書を借りにきた

どうやら自分のクラスにNさんという
学年でナンバーワンの子がいることが判明しました。

特に私が苦手な「社会科」は100点だったそうで
本当にすごい人がいるなぁ・・・と思っていました。

しかし、僭越ながら
私自身塾に通っていることもあり、
英語と数学の成績は平均で98点ほどをキープし

「理科」と「社会」のNさん、
「英語」と「数学」のton-ton

みたいなかたちで
なぜかクラスの中では有名になってしまいました。

小学校時代、私は一度たりとも
「ton-tonって頭いいよね。」

と言われたことがありませんでした。

むしろ

「バカじゃねえの!?」

「ブス!!」
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と毎日のように言われていました。

ほとんど褒められた経験がありませんでしたからね。

そしてある日突然
隣のクラスのWくんが
なぜか私のところにやってきました。

6年生のときのクラスメイトです。

「教科書貸してもらってもいい?」

「ん???」

彼は一体、何を考えていたのでしょう。

一年前まで
散々私のことをバカにしていた男子のひとりです。

私なんかに教科書借りるの
恥ずかしくなかったのでしょうか。

「クラスでNo.1の成績」は、もはや皆のものになった

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自分なりに勉学に励んだ一年。
小学校時代とまるで充実度が違いました。

そんな私は気づけば二年生。

自分のクラスに学年NO.1の「Nさん」はいませんでした。
二年生になると
みんなも中学校生活にだいぶ慣れたフランクな雰囲気で過ごせます。

隣のグループでは
ヒソヒソ声で

「ton-tonさんがいるね~。」などと
話しています。

2年生一回目のテストのあと、
ある教科の先生が

「このクラスの最高点は〇〇点のXXさんです。」

と発表します。

なぜかその瞬間、
まだしっかり把握してもいない
新しいクラスメートの視線が集まってきました。

私の中では
思いがけず自分の名前がコールされました。

周りは「やっぱりね。。」
みたいな雰囲気でしたが。

それからは卒業まで
その教科ではほぼ自分の名前が呼ばれ続けました。

とうとう「学年一位」をとった。3年間で2回。

英語の模範解答は、ton-tonの回答をそのままコピーしたものになっていた!

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自分が一番得意だと思っている「英語」。

実は幼い時から
近所の英会話教室に通っていたため

毎回100点取らなくてはアホだと思われる・・・

という恐怖にかられていました。

このブログを書きながら思います。

当時から私は「極端な考え」をもっていて疲れますね・・・(汗)

ある日のテスト返却日。

ちょっとしたミスで
英語は96点でした。

そして答案返却後
模範解答も全員に配られました。

そして見てビックリ!

「ええ~~~!?コレ私の字じゃん!!!」

ちょっと間違えたところだけ
先生の字になってるし!!

英語の先生も言います。

「模範解答はton-tonさんのですよ。」

って、先生手を抜いた!?

「ちなみにton-tonさんはココを間違えましたよ。」

って、恥までかかされました・・・(汗)。

高校合格と同時に大学も合格!?

おかげさまで二年生、三年生のときは
学年トップのNさんとクラスが離れたため
クラスでは常にナンバーワンをキープし続けられました。

・・さらに奇跡的にですが
なんとこの私が

学年でナンバーワンを2回も取ることができました。

一回はNさんと同点で首位タイ。
もう一回は、悲願の単独首位でした。

その頃は、小学校時代に私をバカにし続けた
男子生徒たちから、一切からかわれることはありません。

むしろ誰からも
邪険に扱われることが皆無になりました。

そして中三の冬、私はある大学の付属高校を受験しました。

男女共学の大人気校です。

同じ中学から5人が受験しましたが
僭越ながら合格したのは私ひとりだけでした。

ton-tonの母
あなたが合格することを、お母さんはずっとずっと信じていたわよ(涙)。

受験では得意な数学が一切解けず
全く自信がありませんでしたから、
それでも母が自分を信じていてくれたことが
とても嬉しかったです。

その高校の付属大学進学率は9割を超えていたため

私は15歳にして、大学合格も実質的につかみ取ったことになりました。

気付けば「他学年」の教員からも知られていた

3年間、クラス行事と勉学に励みました。

思い起こせば色々やりました。

クラスの議長
文化祭実行委員
合唱コンクール実行委員
合唱コンクール伴奏
修学旅行委員

気が付けば、私は学校で結構な有名人になっていました。

2年生の担任から、「あなたに生徒会をまかせたい」と言われた

卒業間近には
なぜか「他学年」の先生に

「本当は君の学年の先生たちは、
君に生徒会をやって欲しかったんだよ。」

と言われました。

これっぽっちも生徒会に興味が無かった私でしたが
ありがたいお言葉です。

卒業式のピアノ伴奏者に勝手に選ばれていた

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卒業式の台本に、自分の名前が勝手に書かれていました。

曲:「時の旅人」
伴奏:ton-ton

・・と。

私はその頃は、ピアノ伴奏よりも
歌を歌うことのほうがずっと楽しいことを知っていたため
先生にお断りをしました。

しかし、学年の先生に言われました。

「先生たちはね、ton-tonさんに弾いてもらいたいのよ。」

2歳下の弟も「ブランド力」を格段に上げていた

私には、2歳年下の弟がいます。

自分が3年生になると、弟が1年生として
同じ中学に在校します。

恥ずかしながら私の弟は
ちょっとしたトラブルメーカーで
評判があまり良くなく

「お前の弟、なんか生意気なんだよ。」

と言われることが日常茶判事でした。

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しかし彼が中学校に入学すると
周りから「嫌味」を言われることが一切なくなりました。

気が付けば野球部のキャプテンに。

そして受験目前の成績はなんと

オール5

でした。

あの子の卒業式
学ランのボタンは一つも残っておらず・・・。

まとめ

20年後に、あの「担任」と再会!言われた意外なコトバとは・・・

親友のMちゃんの結婚式に
小学校のときのあの「担任」の先生が参列していました。

Mちゃんも私も”6年1組”仲間でしたが
なんと「花婿」もあの「アイドル集団」の一人の秀才Kくんなのです!

新郎新婦が小学校の同級生というケースはめずらしいかもしませんが、
なんとこのクラスでは、二組も夫婦が誕生しました!

ですから、当時の先生も二人の結婚が嬉しいようでした。

披露宴での座席が先生の隣になってしまい、
私は恐る恐る話しかけてみました。

ton-ton
先生。お久しぶりです。私のこと・・・覚えてマスカ?
担任
覚えているよ。ton-tonさん。百人一首が得意だったよね
ton-ton
マジで?

時を経て
先生は私のことを実はずっと覚えていてくれたのですね。

ちょっぴり報われたような瞬間でした。

20年間いろんなことを経てきました・・・

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それから20年以上が経ち、
大学進学、短期留学、海外一人旅、ビジネス、結婚など
人生で大切なことを自分なりに学んできたつもりです。

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